親が体得していないことは、子供は知りえないという「情報格差」

タイトル画像:親が体得していないことは、子供は知りえないという「情報格差」 おばさんのボヤキ

昨年2024年にオーストラリアでは10代のSNSの利用はできないようになるらしいというニュースをテレビで見た。もうすでに施行されているかもしれないが。情報が溢れているから、10代が発信する内容も溢れている何らか影響されてしまうからだろうと思うけれど。情報があるということは、何かのチャンスになることなのを私は人生で味わっているので、SNSは仕方ないとはいえ、情報を得る接点を全ては取り上げられることは止めて欲しいと思ってしまう。

なんでだろうか、昭和から平成の変わるころに北関東で10代を過ごした私は、どうしようもない人生の反省と、でも他に何らか方法があったのではではないのか?!と心の中で悶絶する。

その「何らか」の一つは、「情報」の不足だったよなぁと、ため息まじりに思うことがある。

「地域格差」というより「文化格差」

よく「地域格差」という地方と都会の差を報道されることがある。地域間での所得格差や生活環境の格差が生じることらしい。大人の目でみる当時の北関東はどうあったのだろうか。所得格差はあったかもしれないが。インフラでいうと、たしかに交通の面では、私が育った北関東は車がないと、けっこう生活は面倒くさいことになる。

実は私の幼少期から10代頃は、私の実家近くはバスの台数も多く1時間に4〜5本走っていたし、JRの大きな駅から広がる繁華街へ遊びに行けたので不便は感じていなかった。そのせいか井の中の蛙ってやつで、その駅前の繁華街までバスで行けるので自分は、都会に住んでいるような錯覚さえあった。

それよりも、そこに生きているだけで感じ得る文化がほぼ無かったのかと、ジレンマのような気持ちが湧いて出てくる。「文化格差」とでも言うのか?!何か文化から離れていたと思う。社会というのは「そーゆーこと」だなぁという感じが身に着くまで、私は東京に出てからも時間がかかった。

あんなに子供の多い時代に公立の図書館へ行くにはバスと徒歩で2時間以上かかり、美術館も遠く、関東であるためお芝居やミュージカルなどの公演が来るわけもなく、地元の市民会館にミュージシャンのライブツアーに来ることもほぼなかった。関東だからというわりに、東京は遠い。

デパートにはハイブランドは売っていなかった。ちょっといい感じの婦人服売り場で、少し贅沢な服を買う母の姿を覚えている。

シャネルやらヴィトンなどのゴージャスなものは知らなかった。「高い」というのは分かっても、世の中に高級な本物を持つ大人がいるということを理解していなかった。でも薄っすらと高い服をいい感じでコーディネートしている感じがしていた、だけだ。

中途半場な地方の繁華街には本屋さんやレコード・CD屋さんもあるが、子供だったしお小遣いほぼなく、手ごろなレンタル屋さんから音楽を入手すればいいけれど、東京にレンタル屋さんができつつある中、私の地元にレンタルレコード屋さんができたのはさらに後だった。そのせいか音楽もそれほど手に入れることも出来なかった。

映画館もけっこうあったけれど、エロい映画館からは歯のかけた怪しいおじさんが出て来て、邦画や洋画でもメジャーな作品しか来ないので、おしゃれなツーがおすすめする映画は上映していない。

日本の伝統的なものも興味が湧かないのは、東京のように寄席もなく歌舞伎なども遠くのお金持ちが見るものだと思っていたし、クラッシックなどの音楽も学校の授業で聴かされてるから聴いているだけだった。

結局すべては、テレビを見て、テレビで情報を得て、テレビに簡単に影響されていた。テレビに流れない情報や音楽は知らないし、金曜やら土曜に少し前の映画すらテレビで見れるし、それでよかったし、それしか方法がなかった。

肌で感じる時代の流れよりも、自転車通学で冬は寒く、夏は熱い自然を体に感じるばかりだった。

文化的なことを感じに、触れるには遠くの遠くにそびえ立つ東京に行かないといけないし、そこにはかなりのカロリーが必要だった。お金と距離というハードルが並んでいた。あのころの、私の地元の北関東の大人たちはどうしていたのだろうか。話を聞いてみたい。

どちらが自分に合うのか比べることや、それよりも!こーゆーことを知ったほうが良いのではないか、という地頭が育っていないのは、幼少期から成長期の環境だと思う。簡単にわかるメジャーな情報に、フムフムと簡単にうなずいてしまう。

文化の格差は、何らかのセンスを理解する地頭が広がらないような気がする。私がいまだにそうだからだ。私はメジャーなものだけに、カッコイイと思い、おしゃれと思ってしまう。探す回路がない、探求する場所と方法を経験していない。

親が体得していないことは子供は知りえないという「情報格差」が重なる

お受験に小学生からがんばる姿をドラマやニュースで見ている。それに反対する意見もあるようで、子供の人生とか、立場によっていろいろ意見がある。東京に上京し私も大人になりいろいろ見聞きしている。

ママやパパが、子供のことを考えてチャレンジしているのだ、よーく悩み考え決定していく日々。子なしの私には何も言葉にならない。しっかり調べて、しっかりと決めた家族の大アドベンチャーだ。ただただ、がんばって欲しい。

私が過ごした40年前の北関東では、地元の学校にそのまま通い、なんとなく地元の高校を受験。アホな私立の高校で気が付いた、いやぁ、ほんとうは中学で見ぬふりをしていたのかなぁ、、、このままでは何にもなれないことを。

地元でもアホな高校に入学しているということは…、大人になったとして何になれるのか?!せまりくる20歳の成人の日。

女子は見た目が良くないとやっていけない時代だったし。

地元の国立大に入って、先生や公務員になる地元のエリート、それ以外は農家を継ぐ予定の子は農業高校、兼業の場合の男子はたいてい工業高校で車やらバイクに目を向けていた。女子たちはお嫁さんになるから、どこでも高校を出て、どこかの工務店などの事務員になれればOKだった。

バブルの影響もあってバイトでも、そこそこ生活ができることもあり、バイトでも女子は問題ないという風潮もあった。

いやいやぁ、そいういう女子って、見た目が美人さんかクラスでそこそこ可愛い女子で、お金持ちの農家とか地主に嫁にいけるというやつでして、

私は、別に可愛いわけではない「それなり女子」は、自己肯定感をドン底に落とされる時代だったため、いい所に嫁に行けるということも簡単には想像つかない状態だった。

「ブスでも気立てが良ければ…」と言われる。

バブル時期の大人の姿をみて、まぁ大丈夫な気もしていた。

おりしも1971年(昭和46年)生まれの子供たちは中学から高校まで、大人たちがガンガン尖って、お金をガッポガッポ稼ぐことができたバブルを見せつけられている。地元でもビルが建ち、道路が舗装されるなど、それなりに景気の良さを感じだ。これまたテレビのニュースやら、トレンディドラマで、うかれた大人が映し出されていたし。

そのせいだろうか、不安もあったけれど「まぁ、大丈夫だろう」とどこかで思っていた。東大に入って偉い人になるとかではないけど、浮かれている大人がいるくらいだ、あんな風にわりと楽しく行けるかもなぁ~とぼんやりと思ってしまうこともあり、何もしないでただたた大切な中学から高校を過ごしてしまった。

特に見た目も良くない女子で、親の何かを継げるわけではないor継ぎたくない場合、どうやって大人のスタートを切ればいいのか、いやスタートに立つためにどうしたらいいのか?!どうしたら?そもそもどうやったら会社に入れるのか…。

先にふれた「しっかり調べて、しっかり決める」これは本当に重要なのだ。私は何も考えてていなかった。

大切な10代、学歴と思考のセンスを得るには情報が必要なのだ。

せめて自分で判断する「情報」が欲しかった。

私の両親はすでに他界している。父母は戦中派だった。混沌とした東京から北関東に移住した。そして兄と私を生み育て家族という、へなちょこプロジェクトを遂行したのだ。

中卒だった。戦後の日本で、教育は散乱していたのだと思う。なんとか住み込みで飲食店で働き、なんとか青年期を働いてきたようだ。

そこには高校受験や大学の良しあし、そのためにはどのような準備が必要なのか、体験していないため知らない。「勉強すればおのずとついて来る」という程度だった思う。むしろ家の手伝いなどを求められたと思う。

親がダメでも学校の先生と言いたいところだが、

私が入学したアホな高校には、まだ不良もいた、今でいうところのヤンキーだ。もし大学に行くにしても先生たちも地元の国立大学をめざす学生しか対応したことがないため、大学進学の学習指導など、ほぼ一択の進路指導しか思い当たらないようだった。

せめて、こういう大学へ行けば、このくらいの仕事にはつけて、ということは、こういう勉強が必要で、こういう大学は県内にはないから、他県や東京を目指す…ということを、誰も教えることができず、教わらずに私も周りの大人もぼんやりしてしまっていた。
平成が始まったばかりの頃だ。

今の学生には信じられないと思うが、地方の先生は情報不足だった。しかも学歴が無い両親は混沌とした時代を生きぬいた(まぁ、それだけで十分なんだけれど)こと以外は、体験していないため大体の目途や想像ができなかったようだ。

学校の外では、たいていの大人が高校のあとは「働く」以外の体験をしていないということは、その先の情報を得られない時代だった。女子はまぁまぁ働いて嫁に行くことしか言わない大人が多かった。

学年に数人、東京の高校を受験し早めに上京していた奴らがいた。そこには我が家とは違い大卒の親がいる子だった。今とは違い大学を出た親の知識は学歴だけではなく、体験から得ている情報があるため将来や進路への考え方や見え方が違ったのだと思う。

単純に勉強したらいいことなんですが、自分に合う何かと対策する情報と理解するチャンスが無かったなぁぁぁ。

「あんな風」になるには何をしたらいいのか?!

平成初期のトレンディドラマに登場するOLたちが働く会社は、東京ということはそこそこ大手だ。

↑あんな風になるにはどうしたら良かったのかねぇ。

テレビに映し出されるドラマのOLさん達は、いっちょ前に恋をして、すてきなスーツ姿の男性と仕事の帰りに六本木を歩く(いや、あれ青山とかだったかな)。あんなドラマに出てくる女子になることすら、けっこう大変なことだと想像すらしなかった。だってドラマは恋愛して遊んでいるだけだからだ(笑)。

私はあんな風になれなかった。しかも現実ではバブルがはじけて世の中は不況の始まり。ドン底不況の第一世代だ。就職すらできない。

あの頃の北関東で十代を過ごした私の半径50メートルは、
親も自分の周りの大人にも、学歴は必要だとかはわかっていても、経済的にどうしたらいいのか、自分に合う勉強法はどういうものなのか、大学だけでなく専門学校で資格をとって社会にでるには、などなどヒントも出せる経験値がなかったように思う。しかも、丁寧に個々の子供たちに合わせた何かを提案する時代ではなかった。

子供は年上の人に意見もあまり言えなかったし、意見は「言い訳」や「生意気」で常識のない子供とされたし、親がが悪いとなり、最後には親に迷惑をかけることが分かっていた。ただただ平均的に過ごし迷惑をかけないでいることも必要とされた。

40年前は田舎では大人も未熟だった。

見た目が可愛らしくも美人でもない「それなり」女子は、そこそこの田舎の小金持ちと結婚もできない、学習能力が低いまま学歴とか理解できないまま、どうしたら良かったのか。

情報が欲しかった。

根性のない、自信のない、見た目が「それなり」で内気な自分がどうしたらいいのか、参考になるヒントが欲しかった。

情報が溢れていると言うかもしれないけれど、それでも情報があることは良いと思う。

いまではSNSで情報が豊富だ。悪い上司のいる会社情報や、まるで美容整形したかのようなメイク術、そして少し思想やら意識の強い発言などなど。それに「●●代のうちにやっておいたほうがいいこと」とかいうような本の要約も見かける。

今の中学生とか高校生は、どうしているのだろうか。子なしなので10代にそんなに出会わないが、近場で出会う若者をみると、私の頃とは違ってしっかりしているし、自分の思いも丁寧に話せる若者に出会う。みんなさわやかで賢い。
それでもSNSに揺さぶられているのだろうか。いや、揺さぶれることもあるかぁ。

確かにSNSの使い方が良くないから、何らかの犯罪に巻き込まれることが増えている。これは本当に難しい。難しい。私も簡単に騙されるのではないかと、SNSの投稿やDMにハラハラすることがある。他人事ではない。

でも、それでも情報を得ることがむずかしい環境に居る10代や20代は存在する。どうしたらこの環境、こんな自分を前に進めるようにできるのか、こんな日本でどうやって生きて行けばいいのか、ちょっとしたコツとなる知恵を知る必要があると思う。

子供たちや若者への注意喚起と、これは大丈夫だと判断できる骨格を子供たちに大人が作ることをしっかりとすればいいと思う。自分がやられて嫌なことはやらないようにしようと思う骨格を育てることだと思う。

なんでだろうか、これもやっぱり親や周りの大人なのか…。一周してしまった。

10代や20代のこれから大人になる子供たちに、いい情報が、必要な情報が、丁寧に届くように、せつに願います。

私の高校2年、どうしていいのか分からない日々。北関東の秋は、西陽がせつなかった。

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